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佐東利穂子ソロダンス公演『SHE-彼女-』 [ダンス/レビュー]

昨年になりますが、佐東利穂子さんの作品を山口情報センター(YCAM)で拝見しました。このレビューは、YCAMさんに提出したものですが、掲載予定がないそうですので、こちらでご紹介することにしました。

よろしかったら、ご一読下さいね。


■日時:2011年

■会場:山口情報芸術センター(YCAM)

勅使川原三郎さんのHPでの紹介記事:http://www.st-karas.com/works/she.html

しなやかさと鋭さが溶けだす身体



2009年に世界初演された(川崎市アートセンター)勅使川原三郎振付の『SHE-彼女』が、山口情報芸術センター(YCAM)で再演された。ダンサーは佐東利穂子。本作は、彼女にとって初の本格的なソロダンス作品である。

冒頭、暗転の舞台上に音楽だけが流される。この曲は1912年にパリのシャトレ座という劇場でニジンスキー(1889-1950年)というダンサーが『牧神の午後』という作品の中で使用した曲であるが、当時この作品は、ダンサーが観客席に横顔を見せたまま内股で踊ったり、自慰行為を思わせるセクシャルな動きが含まれていたことなどから非常に話題になったといわれている。このエピソードが頭に入っていた私には、この曲が流れたことで、どんな場面が展開してくるのか思わず身構えてしまった。だが、そんな思惑は見事に裏切られてしまった。

しばらく音楽が流れたあと、舞台背面に架けられた大きなスクリーンには、広い野原の映像がモノトーンで映し出された。その映像の中では、吹き渡る風が細い草の束をさらさらと揺らす中、佐東が両腕を伸ばして駆けまわっている。センセーショナルというよりは、ごくナチュラルでさわやかな印象である。映像の中での彼女は身体を横側からのアングルで撮影されることで、実体がおぼろげな動く絵画のような印象を受けた。その姿は牧神が恋をして追い求めたニンフ(ギリシャ神話に登場する美しい乙女の姿をした精)のように見えた。

心地よい映像がふと途切れ、舞台上に再び暗転が訪れたあと、舞台奥側に照明によってシルエットをクッキリと映し出された佐東が立っていた。大きな画面での映像に目を慣らした観客を前に、この状況はダンサーとしては非常に負担が大きい状態だと思う。強度を持った身体でない限り、映像に負けてしまう危険性があるからだ。しかし、ここでも佐東はそんな懸念を吹き飛ばしてくれた。映像に負けることのない強度を持った身体が、文字通り画面の中から躍り出たように動きはじめたからだ。
この作品には音楽が振付とともに非常に緻密に配されており、佐東の身体の質感が変容していくさまを観客に明確に伝えていたと思う。映像のあとのシーンではノイズの混じった音がつづき、佐東は軽いジャンプを続けるような動きで身体をずっと揺らし続けていた。その動きはまるで、身体の深部にある硬い芯をも溶け出させるための儀式のようである。音楽とともに動きのパターンを微細に変化させていく佐東は、自身の動きを観客にさらしながらも、一方では冷静に自分の内側に起こっている(起こしている)変化にも同時に目を向けているのだろう。勅使川原が佐東のダンスを「全身が神経剥き出しの彼女が世界の表面を剥がしあらわにする」と表現するように、佐東の空間と自身の身体への感覚はとても敏感であり、その繊細さが観客の見ている空間を違う場所へと変換してしまう。1996年から勅使川原の作品すべてに出演してきたという佐東は、勅使川原の振付の心を誰よりも理解し、体現しているダンサーだといえよう。しなやかさと鋭さを拮抗させながらも、やがて融合してしまうセンスは、勅使川原自身のダンスの質感と重なる部分も多い。しかし、佐東にはそこに痛々しいまでの敏感さというある種のかよわさが同居しており、その独自性が『SHE-彼女-』そのものだといえるだろう。

 ラスト近く、佐東自身の声で1つの言葉がくりかえされるシーンがある。非常に女っぽさを感じさせる低い声で「・・・ねえ、真夜中に鏡を見ることをおすすめするわ・・・」と続くそれは、作品の中で佐東自身が一人称の“私”ではなく“彼女”という客観視された自分と出会うことの奇妙さをイメージさせるような内容だった。第三者が描く“私=彼女”を自分だと認識するときの違和感や、それすらどこかで繋がってしまうことの奇妙さを佐東は自らの身体に引き入れ、取り込んでしまう。それはあたかも、しなやかさと鋭さが同居する佐東の身体の在り方のようでもある。
『SHE‐彼女‐』は佐東利穂子のために振付けられたダンス作品であるが、どこかで観客である私たちの日常とも繋がっているように思う。自分自身が捕える“私”と、他者によって描かれる“彼・彼女”というもうひとりの自分…この両者をいかに受け止め、自分として見つめていくかは誰にとっても無関心ではいられないことではないだろうか。佐東のヒリヒリするまでのダンスを見ていて、そんなことを考えた。

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