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KURONOZ参加レポート [ワークショップ/レビュー]

黒ブチの眼鏡、青いワンピース、黒いブーツに黒髪のボブヘアスタイル(オリジナル以外はパーティ用のカツラを使用)、唇には真っ赤な口紅…KURONOZは、クロノ氏を中心とした“増殖プロジェクト”だという。神出鬼没、時には狂人的で即興的なジェスチャーを執拗に繰返すその動作は、見慣れた景色を一変させる強烈なインパクトを持っている。路上やサイトスペシフィックなパフォーマンスインスタレーション、劇場案内係、パーティへのゲリラ出演など、活動の場もさまざま。個人の個性を重要視するようになったのは、うんざりするほど昔だったような気がするが、個性を統一するかのようにも見えるKURONOZは時代に逆行するものなのかどうか。そのパフォーマンスは、この時代に何を投げかけているのだろうか。

 

 

私がKURONOZを初めて見たのは、もう8年も前だ。2000年 2月、オービタル・リンク『m.a.r.b.l.e』名古屋、西文化小劇場だったと記憶している。この頃の私は身体表現と出会ったばかりで、どういうきっかけかは忘れてしまったが、この舞台公演をを見に行った。友人を誘って行ったのであるが、激安の殿堂・ドンキ・ホーテもビックリな種々雑多なパフォーマンスが次々と繰り広げられる混沌たる世界(金粉ショーも確かあったような…)を前に、公演後のお好み焼屋でビールを飲みながら、友人と押し黙ったのを覚えている(笑)。

クライマックスに登場したのがKURONOZであったが、1人、2人、3人、4人…と、同じ格好をした黒髪の女性が増殖していくその奇妙な様子は、それまでの雑多なパフォーマンスと趣を異にしていた。混沌とした世界の中で、雑多である人物たちが極端に個性化された1つのキャラクターに染められていくシーンは、決して安らぎを覚えるものではなかったが、不思議な記憶として私の中に留まった。

 

KURONOZのパフォーマンスの中で、私が最も疑問だったのは、“なぜ1つの個性にする必要があるのか?”ということだった。社会に関わるということは、イヤでも規制を強いられるということだ。ルールを守らなければ成立しないような繊細な世界が私たちの足元にはあり、それは自分らしさを削りながら暮らしているのではないかという疑念にまでつながっていく。規制を破りたい、自由になりたい、そんな想いを抱く日常で、なぜ1つのキャラクターに集約されねばならないのだろうか、という素朴な疑問が常にあった。特定のメンバーを持たず、イベントごとにパフォーマーが変わるというKURONOZ。だがしかし、参加したパフォーマーたちは実に楽しそうなのだ。私は、その不思議さを確かめるため、2007年12月30日、自らKURONOZに参加することにした。

集合は、パフォーマンス開始の約2時間ほど前だったか。特に決められたこともなく、案内された控室にフラリと入る。中には常連パフォーマーと、私のような初参加者が2、3人。今から何をやるのか、ものすごくカンタンに説明される。ここは強調しておきたい。“ものすごく、カンタンに”だ(笑)。

KURONOZのパフォーマンスは即興性を重視する。事前に話されるのは、パフォーマンス開始と終了の合図。それに、参加者が出し合ったいくつかのオモシロイ動きを指示する合図を共有すること。それに、笑顔を消すということ。実際に参加者で動いてみて、合図を出し合ってタイミングを計る…しかし計るといっても、その合図は守らなくてもいいのだという。“ユルくていい”のだと。ただし、“自分以外のパフォーマーの気配を強く感じること”は要求された。ただヤミクモニ自分だけの世界で動くのではなく、他者を感じながら動くことで、動きの関連が生まれたり、逆にまったく無関連な動きが出て変化になったりと、そのユルユルのルールは、無意識のうちに即興を生むシステムになっているのだ。

イベント本番。寒空の下、ノースリーブワンピースでパフォーミング開始。私の顔からは笑顔が消えていたが、内心は驚くほどニヤニヤしていた。目線は正面を向いてはいるが、意識的には360度を見まわしているようなカメレオンのような状態だ。耳は合図の音を探りつづけ、皮膚感覚は他のパフォーマーの気配を感じようと研ぎ澄まされていく。身体の動きは他者と同一化する喜びと、そこから自由に外れていく歓びにあふれる。統一された世界の中で、それぞれが自由なルールを謳歌しながら動き回っているのが、こんなにも快感をもたらすのかと驚いた。

“個性を大切に”という言葉は、すっかり使い古されてしまった上に、形骸化しているように思われてならない。表面的にはバラエティ豊かなファッションで着飾ってはいるが、内実はどうだろうか。以外と同じような価値観によって、私たちは世界を眺めていないだろうか。他人を評価し、自分と比較し、そこから生じる僅かな差異に不安になったり優越感を得たり…。この、何と小さく切ないことだろう。

KUROOZのパフォーマンスは、日常の景色を鮮やかに塗り替えながら、人の内面の自由度を強調しているように思える。表層的な、うすっぺらい個性なんて軽く剝して裸にしてしまう強さと、ニヤリとさせるアイロニーを持って、痛快に。

 

 

 

 


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